木原活信著『対人援助の福祉エートス』(ミネルヴァ書房 2003) 「はじめに」より

冬のカナダのトロントは、氷点下
20度を下回ることもある。しかしその凍りつくような寒さにかかわらず、なぜか暖かく感じさせられるのは人々の温かさのみならず、自由主義社会の枠組みではありながら、セーフティネットとしての社会保障制度の網の目が十分に整っており、清廉された個人の生活の満足さが漂っている結果であろうか。実際、フォーチュン誌による国際的な都市ランキング調査によると、長年にわたって世界でもっとも住みやすい都市にランキングされている。また世界130カ国を対象にしたイギリスの調査会社EIUの2002年の調査による同種の調査でも、カナダのバンクーバーが1位、トロントは3位となっており、その大都市の生活が高く評価されていることもうなずける。ちなみに同調査では、日本は、東京、大阪が21位である。

 さて、私は、日本を離れて、一年間ほど文部科学省の派遣で、トロント大学のソーシャルワーク学科の客員研究員として、カナダのトロント市においてソーシャルワークの研究に専念する貴重な機会を得た。日本とカナダは、おそらく、その国土の広さだけでなく、社会、生活、文化においても著しい好対照をなす国家同士であるといえる。特に、日本社会がよく言われるようにどちらかというとホモジーニアス・カルチャーで、同一性を重要視するのに対して、カナダは多様性を国策(1988年多文化主義法)としており、英語とフランス語の2言語を公用語とするだけでなく、特に、「ポストモダンの実験都市」と言われるトロントは、その飛び交う言語は150を超えるほどであり、まさに世界最大級規模の多文化主義の異文化都市であると言われる。カナダ統計局20031月に公表された2001年の国勢調査結果よると、総人口4647960人に占める外国出身者比率は、トロント市が43.7%であり、半数近くが外国出身者であり、その比率は文字通り、数ある世界の都市のなかでも第1位である。実際、市内の地下鉄や地下街では、公用語はもちろんであるが、中国語、韓国語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、アラビア語が飛び交っている。服装も、ターバンを被っているシーク教徒、キッパを被るユダヤ教徒、サリーを纏うインド系の人々、髭を生やすイスラム系の人々、とそれぞれが堂々と自分の民族様式や宗教、伝統文化をそのままビジュアルなかたちで表現し、誰にはばかり臆することなく自己主張しているのである。学校でも、様々な民族からなる子供たちが多様な服装・生活様式のままでクラスに通っている。いったいここはどこにいるのかと、妙な錯覚を覚えることがしばしばである。むろん、かれらのほとんが短期滞在や旅行者ではなく、トロント市に永住し、そこで生活しているれっきとした市民である。

ダウンタウンにはそれぞれの民族で構成される民族街がある。今や、観光スポットの一つともなっているスパダイナ近辺のチャイナタウンを歩けば、そこはまぎれもなく中国であるかのようである。今、40万人の中国系の移民が暮らしていると言われている。アジア系の人は、その顔が似通っていることから、日本人が買い物などすると中国語で語りかけられ、英語を話してもいいかと敢えて尋ねないといけないときすらある。50万人以上とも言われるイタリア人の住むイタリア街では、荘厳なカトリック教会、多くのイタリア料理店、専門店が立ち並び、独自の文化と異色の町並みを形成している。またバサースト近辺のユダヤ人の街を歩くなら、ヘブライ語の看板やシナゴーグが立ち並び、真っ黒の装束を身に纏い髭を生やしたユダヤ教徒を多数見かける。ブロアー通ウエストにあるコリアンタウンでは、韓国料理店、専門店が立ち並び、ハングルが飛び交い、さながら韓国にいるようである。2002年のワールドカップで韓国がイタリアに勝ったときのことである。突然、人々の歓喜の声、車の警笛が響きわかり、当事、ブロアー通り沿いに立地しているトロント大学のソーシャルワーク学部の研究室にいた私は、いったい何事が起こったのかと一瞬耳を疑った。通りに出てみると、韓国の人々が国旗をもって通りを歓喜の余り乱舞して行進しているのである。

よく言われるように、アメリカでは、文化が溶け合い、そして一つの「アメリカ人」に融合していく、いわゆる「メルティング・ポット」(人種のるつぼ)に象徴されているが、それとは対照的に、カナダは決して一つの「カナダ人」として溶け合おうとするのではなく、「モザイク模様」「サラダボール」のようであると言われる。つまり、サラダボールの中のレタス、トマト、ピーマンがそれぞれそのままの個性を保ったままそこにあるように、人々の多様性がそのままカナダという風土で受け入れられているのである。つまりは個々人や民族それぞれの多様性や差異を限りなく尊重し、その個性の姿を残存したまま一定の社会に融合することなく多様性を維持したまま社会が成り立っているのである。前者がモダニティ、後者がポストモダニティの一つの象徴といえよう。

この「人類の未来都市」あるいは「ポストモダンな実験都市」トロントで暮らしてみて、その多様性のダイナミズムに触れ、日本との余りの違いに少なからずショックを受けた。大袈裟に言うなら、多様性の洗礼を受けたのである。「出る釘は打たれる」「和をもって尊しとなす」という日本では考えられない、光景もしばしばみてきた。子供たちも、学校では自己主張をすることを学び、自分が同意しないときは「ノー」と言うことを徹底的に訓練される。人と人が違うことが大切であり、それが意識的に教育され、その差異を他者の個性として尊重することが教えられる。例えばカナダの人気の子供番組の一つ、「フランクリン」(Franklin)は、主人公のフランクリンは亀であるが、「亀の学校」ではなく、彼の通う学校は、フクロウ先生に熊、ビーバー、キツネ、カタツムリと多種多様であるが別に違和感がないばかりか、その差異性の軸にストーリーが展開されていくのである。幼児向き番組「リトルベア」(Little Bear)も、主人公は子熊であるが、その友達は、蛇、猫、フクロウ、鶏、アヒルなどと多種多様であり、いずれも、その差異と個性を尊重することが番組の重要なテーマとして位置づけられ、またそれを幼少の頃より学ぶ教育的な配慮もなされている。「ティモシー」(Timothy Goes to School)も、アライグマ、犬、猫、狐などがクラスで共存し、彼女を通して、日本人の猫のヨウコも登場し、寿司、竹とんぼ、などの文化が紹介される。これらは、国策としての多文化主義の象徴的な姿の一つともいえる。

日本では、どちらかというと、個人よりも集団(仲間、世間)が意識され、仲間の和に入るために自己主張を避けて、仲間と同じであることが暗黙の内に重要視され、集団としての仲間のコンセンサスに対して「イエス」ということを余儀なくされる場合が多い。これは、子供も大人も表現は違え、基本は同じであるといえる。この点は、別段ネガティヴな点だけでなく、「和」の世界という意味で、欧米の近代個人主義が見落としてしまった共同意識などを、自然と内包していることも忘れてはいけない。これについては本論で議論していくこととなる。

宗教においても顕著な差異がある。日本と決定的に違うと感じたのは、表面上のキリスト教人口が多いとか、仏教が多いとかそういうことではない。そうではなくて、明確に個人が自分の宗教と信仰を主張できると環境か、否かという点で大きな違いがあるという点である。例えば先述した通り、カナダでは多くの民族や宗教が多様に存在する。その典型的なものとしてユダヤ教、イスラム教、カトリックなどその生活様式や服装それ自体で、明確に自己のアイデンティティとしての宗教それ自体を他者に表現しているものも多い。これに対して日本は、「宗教は特にありません」という言説が、「一般の日本人」としての一つの重要な「証」のようになっている。日本の公的機関や公共教育の態度もこれと無関係ではない。憲法に定める政教分離の観点から一定の宗教に組しないことを過剰に意識しているためか、宗教にかかわることを意識的にも無意識的にも、避けているといってよい。それが結果的に宗教心そのものを軽視することにつながっていると、宗教学者の山折氏は指摘しているが、これは実に的を得た分析ではなかろうか。この点、カナダでは全く違う。トロント市の幾つかの福祉施設・機関を訪問したが、公立・私立を問わず、宗教との関係を強調する姿勢がはっきりと見られるのが共通していた。最大の公立の精神病院では、治療の一環として、明確にスピリチュアリティを尊重する方針から、入院患者それぞれの宗教、信仰を尊重し、礼拝などの宗教行事を公立施設が保障しているのには驚いた。むろん、一つの宗教・宗派の布教は認めているわけではないが、そこにはユダヤ教もあれば、キリスト教、仏教もある。つまりは、公的機関は、特定の宗教的布教活動を行わないのであって、多様性を前提に宗教それ自体を尊重している姿が伺える。日本では、公的機関や公的教育のなかで、やや表現が悪いが、宗教を尊重するという姿勢よりは、「臭いものには蓋を」というような扱いか、「取扱注意」というようにして、宗教を扱っているような感じがみられる。こうして、山折氏の指摘する通り、宗教を軽視することになり、更にそれが「宗教は特にありません」という「一般の日本人」の同一性を高めているのである。

他にも多くの点で、カナダと日本の社会は比較が可能であるが、いずれにしても、カナダと日本とは、著しい好対照をなす。本論で論じることになるが、ここでの議論は、どちらの文化が優位にあるという点ではなく、その著しい差異の中から、本論の主題であるエートスを汲み取り、特にその中から本研究の主題である対人援助という行為を、改めて、議論の俎上にのせて冷静に分析していきたいのである。工業技術や科学技術であるなら、ある程度、文化と価値を切り離して考慮することは可能であろうが、対人援助の「技術」とは、実は、このような文化的背景や風土の中から生まれるものであり、これらを切り離しては考えることができないのである。第2次世界大戦後、欧米の中から生まれた対人援助の技術を、日本に導入しようと、懸命な努力がなされ、ハード面の専門職の資格制度などは整備されてきたが、現在までもソフトの部分である援助技術は、未だに十分に消化、吸収されてきたとは言い難い状況にある。その要因の一つとして、文化の土壌そのものの文脈を等閑視してきたことが考えられる。あるいは、科学的客観性を重視する方法論上において価値分離という作用を行って結果であるともいえる。このような近代合理主義的な研究スタンスが、欧米のあらゆる最新の学問分野にあっても批判の対象となりはじめた今日、あるいはその一つの動向でもあるポストモダンな観点からも、研究方法論の再考を要する時期がきているのである。したがって、対人援助の文脈においても、文化、エートスを議論することは極めて今日的であり、また有益であるといえる。しかし、ときに、そのような試みは、欧米文化が優れていて、日本文化は劣る(その逆もある)、それを模倣しなければならないというようなエスノセントリズムに陥ることがあるので、注意深く吟味しなければならない。文化の根底にあるものを議論していくことを主眼におくが、ここでは、対人援助にかかわる文化の土壌である、エートス、そして宗教、スピリチュアリティという概念 ―これらはある意味で、「取扱注意」とされてきたテーマであるのだが― それらを避けることなく、むしろ対人援助の文脈で正面から取り扱っていきたい。

このような動機と背景を土台にしながら、本書はカナダでしたためられた。その意味では、本書は「カナダ産」である。しかし、その内容は、これまで日本で着想し、数年間に渡ってあたためてきた研究内容であり、また日本の学生たちや現場のソーシャルワーカーたちに講義してきた講義内容が中心である。そこに、改めて、カナダで学んだ新しい視点を導入しつつ、再吟味することができたというのが正確なところである。「故郷は遠くにありて想うもの」という諺はそのまま研究についてもあてはまるもので、日本を離れてむしろ日本をより意識することになった。つまり、本書は、日本とカナダの文化的な視点を比較させ総合したものであるといえる。かといって、日本とカナダの対人援助に関する国際比較というような趣向は全くない。どうではなく、対人援助の視座のなかで欧米の思想と日本の思想の原点を探求しているというのが本書を貫いている主題であるといえる。

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